阪神・淡路大震災から25年
2020年 01月 17日
6,434人の尊い命が奪われた阪神・淡路大震災から今日で25年。
5時46分、ドーンという振動の後に大きな揺れ。
とっさに私は次女(当時3ヶ月)、妻は長女(当時2歳)に揺れが収まるまで覆いかぶさりましたが、それまでの時間がとても長く感じたことを思い出します。
私は当時大阪市職員。
地下鉄は不通でしたが、京阪電車が天満橋まで運行されていたので、天満橋から梅田の駅前第2ビルまで歩いて登庁という状況でした。
高速道路の倒壊やマンション、住宅の倒壊・火災の状況がテレビに映し出され、とんでもないことが起こったのだと驚くとともに、「何かやらなければ」と、直後から支援活動にも取り組みました。
あれから25年、建物は復旧されましたが、様々な課題が今なお残されています。
地震や豪雨、いつ起こってもおかしくない災害についてしっかり考える日にしたいと思います。


5時46分、ドーンという振動の後に大きな揺れ。
とっさに私は次女(当時3ヶ月)、妻は長女(当時2歳)に揺れが収まるまで覆いかぶさりましたが、それまでの時間がとても長く感じたことを思い出します。
私は当時大阪市職員。
地下鉄は不通でしたが、京阪電車が天満橋まで運行されていたので、天満橋から梅田の駅前第2ビルまで歩いて登庁という状況でした。
高速道路の倒壊やマンション、住宅の倒壊・火災の状況がテレビに映し出され、とんでもないことが起こったのだと驚くとともに、「何かやらなければ」と、直後から支援活動にも取り組みました。
あれから25年、建物は復旧されましたが、様々な課題が今なお残されています。
地震や豪雨、いつ起こってもおかしくない災害についてしっかり考える日にしたいと思います。


by kadomasigi99
| 2020-01-17 05:10
| 地震・豪雨災害
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